看取りまでの最期の時期を家で過ごすときには、いろいろな職種のいろいろな人が在宅医療・在宅介護の支援のためにその家にお伺いします。診療所からの医師・看護師、訪問看護ステーションからの訪問看護師、在宅支援センターからの訪問入浴サービスのスタッフ、社会福祉協議会からのケアマネージャー・ヘルパーなど、地域の力としての近所の人たちや親戚の方などもこの一つかもしれません。社会資源の豊かな街ではまたもっといろいろな人が関っているのではないでしょうか。
家の前にはいろいろな車が止まるようになります。最近でこそ訪問看護ステーションや訪問入浴の車も地域で見慣れてきたものになってきましたが、そのようなサービスが受けられることを知らない人もまだいるようです。診療所も白衣・聴診器のスタイルで車を止めると、まだ多少はやっぱり視線を感じます。でも地域でいろいろな支援が利用できることが知られるようになってきたのも、それぞれの職種が家族の方と力を合わせて一件一件がんばってきた積み重ねの成果だと思います。
しかしもっと視点を変えて考えてみると、こうして多くの人が関れることは家で最期をと決めたご本人さんの決断のおかげです。もちろんそれを支えてくださるご家族のご理解やご努力もとても大きいものです。たとえ意識がなくなったとしても、近所の人や地域の人たちに、「歳を重ねていってもこうやってこの地域で最期まで暮らしていけるんだよ」と教えてくれている、そのような気がします。最期命をかけて地域に伝えてくれる大仕事のようなもので、先達の一件一件の大仕事の積み重ねは意識しなくても存在する地域の安心感のようなものになっていきます。
我々は先達が行う最期の大仕事を、しっかり支えていくことができているだろうか。
この地域は最期の大仕事を行っていただけるにふさわしい、そんな土地になってきただろうか。
我々の働き具合どうでしたか? と大仕事を行っていただいた方に直接聞けないのが切ない所でもあります。一通りでもない答えを探して今でも迷い迷いの日が続きます。我々が最期の大仕事を行うことになった場合にようやく、安心してその思いを果たせる土地になるよう今努力しているか、ようやく答えを感じられるのかもしれません。
この土地で最期の大仕事を勤めていただける方に精一杯の敬意をこめて、また一日一日働いていきたいと思います。
お医者様として尊い精神を言葉にして下さって、安心しています。
老母も先生のお世話になって欲しいと願っています。
老母と雑談する時はいつも「家に居たい」施設に収容されることを最大に嫌がっている様子です。
幸い、老母の家族のコミニュケーションがうまくいってますので、
「最後の大仕事」をつとめる老母であることを信じたいです。
bellさん おはようございます。
診察室でも「家に居たい」といってくれる患者さんが増えてきたように思います。患者さんそれぞれにいろいろな背景がありますが、その言葉が出るうちは大丈夫と互いに笑いながら話をしています。
診療所ができてもうすぐ6年、みんな歳をとりましたが、まだまだ元気ですよ。
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