先日議会で当地区で行われているロコモ予防教室を全町に広げられないかとの質問がありました。質問する議員が診療所に来られた際は私は往診中で代わりに事務が対応しました。一方答弁側の町に対しては、保健センターより診療所に「資料を貸してほしい」と連絡があり貸し出しを行いました。
一昨日診療所に来たセンター長によると答弁は町民課が行ったとのこと、こちらはてっきり保健センターが行うものだと思っていました。町民課担当はきっと住民役員などと話をしたでしょうが、行政の一員でかつ当事者である診療所への、議会質問に対する意見や考え方についての問い合わせは、町民課からも保健センターからも毎度の如くありませんでした(診療所医師は役場では課長級ですが議会へは呼ばれていません)。
当地区のロコモ予防教室はいろいろな意味でみんなで支えあってここまで来れたものです。声を掛けていただいた足助病院さん、熱心にご指導くださる理学療法士の先生方の熱意に応えるべく、診療所も対応し取り組みを応援しました。そしてその熱意は住民にも伝わり、現場の努力に住民や地域が応えて今に至っています。
診療所は開設よりここまで7年歩んできました。行政とはうまくいかなかったけれど、地域とは何とか共に歩んでこれたと思います。すべての根本は志です。現場技術職の能力が最大限生かせるよう、現場の人間がやりやすいようにどう環境を整えるか、地域の住民を頼るばかりではなく自分達で動く方向にどう後押ししていくかが肝心だと思います。現場と行政と住民がどう進んでいくか、互いに顔を見てのまめな情報交換は必須です。人も金もない中で地域を何とかしたいという思いを、苦しみながら共有していくことが必要だと思います。
診療所の考えをどうして尋ねにこないのかと聴くと、「診療所の考えはブログやホームページにも書いてあるので、それをコピーして資料として出した」とのこと。このブログやホームページは、行政の一員としての診療所の考えを示す、顔を見ての意思疎通・情報交換以上の、議会答弁に匹敵する価値があるもののようです。あきれて思わず笑ってしまいました。悲しいけれど、これがこの町の現実なのです。
診療所は町の広報へは診療日時・電話番号以外の情報は掲載していません。町内には民間の医療機関もあり、町営診療所だけが優遇されていると思われる行為を少しでも避けるためです。毎日流れる広報無線ですら診療所は可能な限り使わないようにしてきました。
しかし今はインターネットの時代です。たとえば研修医が病院を選ぶ際にもホームページが持つ影響力は大きいものがあります。今週来ていた研修医の所属する病院のホームページをみてもとても温かみがあります。何より病院への愛着が感じられます。
無機質な印象が強く町長の顔すら見えない設楽町のホームページでも、診療所のためだけでなくこの町のこの地域の頑張りを示したいと思ってホームページを更新してきました。ホームページを見る方の中には将来設楽に住みたいと考えた方もいるでしょう。こちらも田舎者の意地根性です。設楽町のホームページの中で診療所のページの閲覧数は13000を超え、町HP全項目中7位に位置しています。町HPトップの検索欄で「町長」と検索してみてください。なぜ診療所が1番・2番で出てくるのでしょうか。
単に診察室で患者に薬を出すだけの診療ならば、こんなことをする必要はありません。地域に愛着を持ち、津具だけでなく町やもっと広い地域のために役に立ちたく、へき地でもこれだけのことができるとの意地を持って診察室以外での取り組みを行い、ホームページもブログも情報発信してきました。
しかしそれが同じ組織内での顔を見ての情報交換の代わりとして用いられるとは、まして議会答弁資料となるとは夢にも思っていませんでした。
以前の記事でも書いたようにもう何度も繰り返されてきた話ですが、情報収集の手間と現場とのコミュニケーションをサボっているとしか考えられません。それは現場軽視であり、志の軽視であり、結果として医療を含め現場が育てた取り組みの軽視です。医療や診療所が地域づくりに貢献している、そんな視点をこの行政に望むことすら間違っているのでしょう。
そしてそんな町には、現場技術職よりもっとアンテナが敏感な子供達が、技術をつけて帰ってくることは間違ってもないのです。
役場職員が、議員にはもっと下調べして質問してほしいといっていましたが、答えるほうもやっていることは一緒なのです。さすが「顔を見ての情報交換が必要ですか」と言い切る町、職員教育が隅々まで行き渡っていると本当に感心しました。
私は何か大きなものがいよいよ体から抜けていくのを感じました。
以前このような地域へ赴任する仲間の中で、「風の人・土の人」論が話題となったことがありました。数年ごとに赴任地を変えていく風の人、地域に根をはって残る土の人、どちらも得手・不得手があります。肝心なことは風の人と土の人が協力して地域を支えていくことです。土の人の典型である行政はなぜ自らの土に生えた営みをもっと大事に育むことができないのでしょう。へき地であればなおのことです。
高齢化過疎化の最前線で必死に地域を支える現場に対して、作戦提示もなく情報交換もしない行政。縦割りの中で、情報も志も取り組みも伝わることのない組織。断線していてもそんなことはお構いなく、うまく動かないほうがおかしいとしか考えないようです。診療所の取り組みはお役所の中よりも、当地区当医療圏・そしてこのブログの向こうの人たちのほうへよく伝わっています。現場との情報交換が不要というのであれば、それを条件にそれでも働いてくれる現場技術職を募集すればいいのです。
過疎地で住む人にとって、理不尽なことに対抗するのはなかなかリスクが大きいのかもしれません。診療所だけでなく役場内でも、職員も一人一人は孤立しながらコミュニケーションもないまま、ふとすれば病みつつ頑張っている様子が伺えます。こんな組織では土の人すら活かすことはできません。いくつもの志が、あきらめられそして消えていったことでしょう。
しかしそんな行政を選ぶ住民にも責任の一端はあるのです。せっかくの芽を、どれだけ自分達で育てる努力をしているのでしょうか。
私も土の人になってもいいと思ってここへ来ました。住民一人一人みんなとても純朴でとても素直ないい人たちです。津具の地域も大好き。ここで得たこと学んだことはどんな資格にも換えがたい宝物です。
でも、もう無理です。津具は大好きでもここの行政は許せない。ここに根を下ろすことはできないというのが最近の結論です。患者さんに向ける顔の裏側で、腐りつつある自分自身も嫌になってきました。
今週来た研修医がいろいろ書いていってくれましたが、「マザー・テレサ」の言葉がとても重く感じられる、昨今です。