日は変わりましたが、昨日の中日新聞の東三河版ページに設楽町名倉地区でのロコモ教室の様子が写真入りで掲載されていましたね。
取り組みが地域にいい花を咲かせてほしいと心から願います。地域の人たちと足助病院スタッフの皆さんで撒く種を、地域みんなで大事に育てていってください。昨年度の経験から考えてもきっとうまくいくと思います。この会が地域の健康意識を高め、自分達の地域でいつまでも元気で暮らしていける取り組みとして根付いてくださることを、隣の地区から祈っています。どうか末長く頑張ってください。
応援する気持ちの裏で、いい話の後で申し訳ないのですが、会を始める上での役場から診療所への意見交換が毎度のようになかったことが、どれだけ割り切ろうとしても割り切れない思いとして胸の奥にあります。議会でのロコモ教室に関する質問に対して、診療所で顔を見ながらの情報収集も行うことなく当ブログや診療所ホームページのコピーで議会答弁資料とした町組織への不信に続くものです。取り組みの立派さにくられべれば小さいことと割り切ろうとしても、今までの経緯の積み重ねからなかなかそのような思いにはなれません。
この新聞記事はそういう診療所医師の思いも記者さんに汲み取っていただけたように思います。もともとよい取り組みですし、細かいことに関係なく地域のために更なる発展を祈っています。いい形の記事にしていただけたことを心より感謝いたします。ありがとうございました。
さて、最近町執行部が医師辞任に関し外に経緯を説明する際に、「医療のことは医師に任せていたのに」と言っていると聞きました。
診療所医師の前では直接そんなことは言わないので、医療の「何」を任せられていたのかがよく理解できないでいます。このような地域での医療は役場がどう思っているかはわかりませんが、間違っても診察室で薬を出していればいいというのが医療ではありません。社会資源の限られた地域で、医療を一つの手段として地域を支えていくのが診療所の仕事であって、その意味では地域医療とは地域づくりだと言えます。診察室で薬を出しているだけなら別に情報も必要ないかもしれませんが、地域背景や今後のビジョンを考えないと地域を支えていくことはできません。
診療所からは過去数年間にわたり町に医療のビジョンの提示を求めてきました。しかしこの答えとして「医療は任せていたのに」という言葉は、全く解答になっていません。任せていたのではない、共に考える機会は何度もあったのに、自分の地域について考えることをしないで、単に放置していただけ、現場に放り投げていたに過ぎないのです。
自分達が老いて死んでいく町です。どうして自分達で考えることをせず、平気で外で「医療は任せていた」などと言えるのでしょうか。現場は必死で高齢化過疎化の最前線で地域を支えています。どうして後方司令部からの情報提供も意見交換もなく、現場最前線からの情報収集も行わず、そんなことが言えるのでしょうか。医療は民間の一業種とでも思っていたのでしょうか。教育やその他の分野でも、ビジョンもなく「現場に任せていた」などと言っているのでしょうか。
どれだけ最前線で働く者の志を折ってきたかわかっているのでしょうか。そしてそんな町に医師も含めた現場技術職、外の地域からの技術援助者、次の世代の子供達たちが、いつまで来てくれる・残ってくれると思っているのでしょうか。
ここは消防分遣所統廃合の話が出た時に、意見交換を求めても担当課長が「顔を見るコミュニケーションが必要ですか」と答えた町です。そもそも最低限の、医療の安全の確保すら何だと思っていたのかと思います。小さな一人赴任の診療所ですが心筋梗塞やクモ膜下出血などの重症患者も来ます。夜間や休日だって急患はでます。こちらは患者の命を預かり、それなりの責任もリスクも負っています。
「医療を任せてきた」のではなく、責任を押し付けてきただけなのです。現場技術職と行政職が共に学び高めあう関係を築くことができたら、どれほど地域のためにもよかったかことか。現場を知る努力もしない、権限も与えることはない、ビジョンを示すこともない、そして共に考えることもない組織。それでいて外に向かって「任せてきた」と平気で言えることが、悲しいかなこの組織および執行部の、地域医療も含めた現場への認識なのです。
割り切れない気持ちがある一方で、一方で町組織に対する『未練』は一日毎に薄れてきているようにも思います。しかし地域の人たちに対する申し訳ない気持ちは重々あります。まさか医師として、地域の人を置いてまで出て行く気持ちになるなんて想像もしていませんでした。まさか「地域のために」と言う気持ちより、ここの行政が許せないと言う気持ちのほうが大きくなってしまうとは。
しかしこの役場組織にしがみついてまで残る気持ちにはもうなれません。自分の中での立ち位置が「土の人になれたら」という状態から、自分は「ここでは風の人」というように変わりつつある印だとも感じています。地域の人には申し訳ないと思いますが、役場執行部の発言が耳に入るたびに、自分がこのように思うに至ったことはたぶん間違ったことではなかったと、改めて思うのです。
日本各地で地域医療に関わる医師が辞めていく時には、ぎりぎりに静かに立ち去って行くことが多いのですが、最近その思いがわかる気がします。
このブログが、このように辞めていく人間の思いをいろいろ綴る事に賛否はあると思います。しかし一方で、当町に限らず周辺地域の方々にも、地域医療のことや医療崩壊のことについて考えてもらえたらと思っています。医療に限る事でもないと思います。たとえば「顔を見るコミュニケーションが必要ですか」と現場職に言うことが現場の『志』をどれだけ踏みにじるか、そのようなことが一件でも減ればよいとも思います。
自分が辞めることを早い段階で意思表示することで、今後の地域についていろいろ考えてもらいたいと思っていたのですが、行政対一人の医師・行政対一つの付属機関という関係の中で、地域に情報が伝わらずごまかされてしまうかな、と最近感じています。各地の医師がギリギリに静かに去っていくのもそのあたりの思いやあきらめがあるのでしょう。これも一つの、医師一人勤務の限界かもしれません。
いろいろあっても気持ちの許せる範囲で、一件一件の診療には手を抜くことなく残り半年を勤めていきたいと思っています。以前そう語っていただいた先生の言葉が、本当にいま心から実感できます。今まで形にできたいくつかのことを誇りとして心に持ちながら、ゆっくり、いままでのペースで、今後もやっていきたいと思います。